2016.4.20 RELEASE
Bar Music × SARAVAH
Precious Time for 22:00 Later
RPOP-10015 定価¥2,400 (+税)
選曲:中村智昭 (MUSICAÄNOSSA / Bar Music)
やわらかな明かりが灯る夜、音楽に心躍る幸福の時へ。
渋谷「バー・ミュージック」とフランスのレーベル「サラヴァ」が全音楽ファンにおくるミッドナイト・ミュージック。
目を閉じて音を身体に染み込ませたくなるような素敵な夜のサウンドトラック。
初夏の風を感じながら、光る水面のゆらぎを楽しむ裏メニューも是非お試しあれ。
松浦俊夫(HEX / TOKYO MOON)
渋谷の一角で音楽ファンのオアシスとして知られるBar Musicと、ピエール・バルーが主宰するフランスのレーベルSARAVAHがコラボレイト。ジャズ、フォーク、フレンチ、ブラジリアン、アフリカン、映画音楽など多彩なサウンドの息づかいが、夜の時に同化する。ヘンリー・マンシーニやジョン・コルトレーン、ギンガの絶品カヴァーも収録した、日本初CD化4曲を含む全19曲。
※日本初CD化曲:M-1, 4, 5, 7
サラヴァ──フランスの吟遊詩人、ピエール・バルーが60年代から現在に至るまで手掛ける、“ヨーロッパ最古”とも言われるインディペンデント・レーベル。「神の祝福がありますように」という意を語源とする“SARAVAH”をレーベルの名に掲げ、約50年もの長きに渡って名曲・名演を世に送り出し続ける希有な存在である。ピエール・バルー作詞、フランシス・レイ作曲による「男と女」のヒットが当初のレーベル活動継続に寄与していたにせよ、その後時々の困難を乗り越えながら常にフランス国内外の知られざる才能をいち早く発掘し、シーンの発展に貢献した。また、バーデン・パウエルらブラジル人音楽家との親密な交流を記録したドキュメンタリー・フィルムなども制作し、サンバ〜ボサノヴァといったブラジル音楽の魅力を独自の視点から世界に発信した功績も大きい。
1994年か95年、まだ高校生であった僕がこうした音楽に目覚めサラヴァを初めて意識した楽曲は、ブリジット・フォンテーヌの「ラジオのように」(1969年発表、原題「Comme à la radio」)だった。その後しばらくして上京し、DJとしての活動が本格化するなかで60年代と70年代のジャズやソウル、もう少し専門的な言葉を使うなら"レアグルーヴ"と呼ばれるものに最も夢中であった折りにデッドストック、すなわちリリース当時の不良在庫として手に入れた7インチのシングル盤がある。これはマーヴァ・ブルームなる黒人女性ヴォーカリストのおそらく唯一の貴重な作品で、そこには“Studio Saravah”というクレジットが刻まれていた。まずは強烈にファンキーなA面に惹かれたが、一方で母性溢れるB面の「For All We Know」により魅了される。そうしてさらに、心は躍った。なぜなら、クレジットは無かったが彼女のバックがあの「ラジオのように」と同じく、高度な技術と研ぎ澄まされた感性を持つ演奏集団、アート・アンサンブル・オブ・シカゴのメンバーであることに気付いたからだ。それはまだ今のようにインターネットで検索をすれば情報の海がひろがる時代ではなかったゆえに、よろこびもひとしおだった。自分の中の音楽地図におけるマスターピースが、こうしてひとつ、またひとつと埋まる刹那が堪らなく好きだ。今回「Bar Musicの22時あたりの雰囲気をイメージしたコンピレイションを、サラヴァの音源で」という依頼を頂戴した際に、あのときの“心躍る”感覚と記憶も投影したいとまっ先に思った。
かくして本選曲は、好評であった2015年制作のコンピレイションCD『Bar Music × CORE PORT -Precious Time for 23:00 Later-』時にも行った、現代の耳に新鮮に響くサラヴァ楽曲の発掘とその検証、そして1966年のレーベル発足から最初の10年の間に制作され今日ではスタンダードとなった楽曲のヴィヴィットな再提示を同時に行い、最終的にはそれらのスムーズなブレンドを目指すものとなった。
ピエール・バルーが1969年に制作したドキュメンタリー『SARAVAH』の冒頭にはこうある──「私の願いはあなたを私達と共に旅に連れていくことです」。以前、Bar Musicという場を“小舟”にみたてて記した際にも述べたが、2010年のオープン以来、毎夜レコードを選びながら思うことも同じ。あなたを僕達と共に、音楽の旅に連れていくこと。この時を隔てた共事性はきっと、偶然ではない。
2016年 3月 中村 智昭(MUSICAÄNOSSA / Bar Music)
1970年代、モンマルトルのアベスにあったサラヴァ・スタジオ。そこにはブティックも併設され、時代の空気と同調した人々が集まる梁山泊のような場であったという。アーティストに限らず数多くの人間が出入りして、創造的でありながら何ともインティメイトな「場」を醸成していった。ここで録音された作品のトーン、肌触りはその後のサラヴァ・サウンドの規範となり、クリエイティブでありながらも常に音楽の背景から人間そのものが迫ってくるような温かみが今なお伝わってくる。有名なエピソードだが、たまたまスタジオ側のビストロに顔を出したアルフレッド・パヌーとピエール・バルーが意気投合し、ちょうどその日スタジオにいたアート・アンサンブル・オブ・シカゴに引き合わせ、その場でレコーディングをしてしまった。ちょうどあの歴史的名盤『ラジオのように』を録音している時期の出来事。
そのように人と人が集い、出逢う場所として機能していたサラヴァ・スタジオ。様々な音楽ジャンルを残しているレーベルだが、そこには共通して人の肌触りを強く感じるヒューマンな匂いが音から感じられる。一方それから約半世紀後、渋谷のBar Musicには"音楽"というただそれだけのキーワードで、多くの音楽愛好家たちが自然に出逢え、温かな居心地の良さを感じられる場所として存在している。店主の中村さんは特に意図的ではないはずだが、アベスと同じような場所を無意識に提供している仕掛人だ。夜の22時頃にもなれば、音楽と共に人々の語らいが静かで滑らかな渦のようになっていく。その風景全体が"音楽"と言えなくもないだろう。
そんな風景を豊かに彩るサラヴァの曲たち。パブロ・ミラネス最初期の音源からはヌエバ・トローバの香りがむせかえり、ユーザン・パルシー監督映画作『マルチニックの少年』のラスト場面に出てくる民衆の感動的なコーラス、火照ったような色気を醸し出すマーヴァ・ブルームのソウルフルネスは人の声の存在感がたまらない。そしてフレンチ・サウダージのテイストをギンガの曲にまぶしたダニエル・ミル、最終曲のピエール・バルーのつぶやきが夜の時間に美しく溶けてゆく。深夜へのグラデーションが穏やかな色彩で変化しはじめ、やがて来る独りの時間に向けた助走として、ここにある音楽で心が少しでも潤っていただければとても嬉しい。
音楽と人の集い。そんな時間と場所は、ピエール・バルーが提唱し、レーベル名にした"SARAVAH (神の祝福がありますように) "という言葉が何よりも相応しいだろう。
2016年 3月 髙木洋司 (CORE PORT)